ブチ(ブティ)の歴史を紐解くのであれば、11世紀、 キルトの発祥のお話から 始めなくてはなりません。
現在わかっているところでは、十字軍と東サラセン 帝国との戦いの際、サラセンの戦士が甲冑の下に キルトのシャツを着用しており、それが ヨーロッパに 伝えられ、王侯貴族のおしゃれ着として流行しました。 現存する最古のキルトは、1395年頃のシシリー島の 貴族同士の結婚祝いに作られた白いキルトです。
麻布二枚を合わせ、トリスタン物語のシーンを本返しで 二本縫い、間に麻ひもを通すコーディングと麻を 詰めたトラプントでデザインを浮き上がらせた作品です。
17、18世紀、フランスでは、当時人気のインドの綿プリントや色鮮やかなチンツの輸入が禁止 されましたが、窮地に立たされたマルセイユ港近郊の繊維業者が王に嘆願してインドの白い 木綿だけ輸入が許されました。
その白い布に細かい針目の本返し縫を施し、赤や青のひも を通して模様を浮き上がらせたのが、 プロヴァンスのお針子たちでした。 ヨーロッパの上流階級の注文で、キルトや上着、ベスト、ペチコートなどがマルセイユの港から 送り出されたので、この白いキルトは、「マルセイユのキルト(ピケ ドゥ マルセイユ)」と 呼ばれました。
その後、プロヴァンスの農家の主婦の手によって、本返し縫いを優しい波縫いで輪郭を縫い、 綿を詰めて盛り上げるキルトが作られました。 それがブチですが、主に冠婚葬祭、特に嫁入り 支度として用いられました。
貴族たちの場合、お針子たちが縫うベッドカバーやペチコートは豪華なものになりますが、 庶民の母が娘のために作るブチ、 嫁ぐ娘自身が作るブチは温かく素朴な味わいがあり、 その柄には子孫繁栄や五穀豊穣というものが多く見受けられます。
また、そうして大事に嫁ぎ先に持ち込まれたブチは、彼女たちと共に棺に入れられることも 多く、 現存するブチの作品が少ないのは、そういったことが理由の1つにあると考えられます。 これが、「ブロードリー アン ブチ」、略してブチと呼ばれています。(日本では「ブティ」と 紹介されているものが多いですが、フランス語の発音では、「ブチ」の表現の方が近いように 思います。)
ブチはイタリア語では「トラプント」と呼び、同じものを指すのですが、日本ではキルト綿が あるものを「トラプント」、ないものを「ブチ」と呼んで区別しています。 その後、ブチは英国や米国へと広がっていきました。